用語解説
阿羅漢(あらかん)
この世的なことで心が揺れず、心が常に清明で、自らの守護霊とインスピレーション等によって通じ合い、他人の気持ちが手に取るようにわかる心の境地。
阿羅漢(あらかん)になりかけている状態を阿羅漢向(あらかんこう)といい、
完成された阿羅漢の状態を阿羅漢果(あらかんか)といいます。(キリスト教でいう『聖者』の境地 )
阿羅漢果(あらかんか)になることは至難の業であると言われておりますが、阿羅漢向(あらかんこう)の境地には、日々心のコントロールの訓練することにより、万人が到達することができるといわれています。
具体的には、毎日、仏教の修行法「八正道」を通して思いと行動の反省を行うこと。
特に喜怒哀楽の怒と哀の思いを水のようにサラサラと流してしまえる訓練をすること。
そして、他人とのコミュニケーションを通して、慈悲の心(博愛心)を強くしていくことが勘所です。
阿羅漢向(あらかんこう)の悟りを得ますと
●守護霊とインスピレーションによる交流ができるようになる。
●他人の心の内が、ある程度 手に取るようにわかるようになる。
●祈りや冥想をしているとき、頭上から光を感じる、或いは、少し見えるようになる。
●ある程度、人のオーラを感じる、或いは、少し見えるようになる。
●悪霊の存在をエネルギーとして、感じるようになる。
●人の感情の乱れをエネルギーとして、感じるようになる。
という、霊的な感覚が敏感になってきます。
★以下は、とても重要な内容です!
阿羅漢向(あらかんこう)という境地は、努力次第では、どなたでも到達できる境地と言われておりますが、阿羅漢果(あらかんか)』になりかけている状態ですから、心のマネジメントを怠ったり、慢心したり致しますと、あっという間に転落してしまいます。
もし、
「自分は、守護霊とインスピレーションで交流できるんだ!」
という悪い意味でのエリート意識が出て来て、他人さまを見下すような心が芽生えてまいりますと、堕落してただの人に戻ってしまうどころか、悪霊や悪魔に憑依をされる場合が多いです。
よくあるケースは、自分は天使なんだと慢心し、御神託と称して、インスピレーションの内容を預言者のように語り、人々を間違った方向に導いていく方がいらっしゃいます。
もしそのようなことを行いますと、死後非常に深い地獄に堕ちてしまいますので、何百年、或いは千年以上の歳月を猛省しませんと、天上界に戻ることができなくなります。
このようなことにならないためにも、あまり霊的な能力に感心を持ち過ぎないよう心掛け、毎日、心のマネジメントを怠らず、自分が増上慢に陥っていないかを常にチェックする必要があります。
インスピレーションを通して守護霊と交流できるようになるのは、心をマネジメントした結果得られる 副次的 なものです。
霊能力欲しさに心のマネジメントを行うと本末転倒となり、阿羅漢果(あらかんか)になるどころか、破滅への道に進む可能性がありますので注意して下さい!
尚、よりレベルの高い阿羅漢果(あらかんか)の境地に至るためには、独学では難しいといわれています。
お釈迦さま在世当時の仏教教団のように、心のマネジメントのプロが指導する正規の教育機関で修行しない限り到達不可能であるといわれるほどハイレベルな境地なのです。
しかも、阿羅漢果(あらかんか)は、心の有段者の1年生の境地 です。
その上には、
●如心(阿羅漢(あらかん)の上段階から菩薩に至る境地)
●観自在(梵天の境地)
●一即多・多即一(如来の境地)
●更に上位の境地へと続いていきます。(終点は不明です。)
というように、気が遠くなる程、ハイレベルな境地が展開しているのです。